Dozing green

蟲を喰らうほどに飢餓する人達を前に、呆然と立ち尽くす。 そのまま息を引き取る者も居る。 激情を鎮めようと一人胸を撫で下ろすと同時に、何かが吹っ切れた。

晴天の空に雨雲が立ち込める。 胸をザラリと砂で撫でるように、意識がグラリと暗転するかのように、その清々しさは鈍い闇へと一転した。

裂けた胸、踊らせ 虚しさに問う 白い声 漏れる息 In the sun
(心張り裂け、虚しさに何故?と問う。寒さに震える白い息と声、押さえている感情が暴れそうだ。)

死骸は傷口から蟲に食い荒らされ、弱者は強者の思惑のまま、生きる糧を食い潰される。 心の傷口は深くパックリ開いたまま、死に至るまで血を流す。 信仰、教義、自分達の神は無となり、心臓が溶け出すように生きる希望を失っていく。

薄暗い朝、微睡みの中、小さな声で「サヨナラ」を聞いた様な気がした。君は首を括って死んでいた。

裂けた胸、踊らせ 虚しさに問う ただ今は独りで居たい (今は独りで大切な人達の死を悼みたい。)

一輪の春、涙脆い首と地を這う君さえも (一輪の花のように直ぐに枯れていく幸福であった。志半ばに散って斬首された仲間は泣いてるだろう、地を這ってでも生きたいと願った君さえも救えなかった)

愛に飢えてるだろうか。祈りを捧げたい。

軽薄な希望なら捨てなければならないか。

そうだ、希望を捨てろ。

_合戦などがあると亡骸はそのまま野晒しになる。やがて亡骸の肉は腐って溶けて土に還る。 そして時代を経て、その土地には人が行き交うようになる。公園になったりアスファルトで埋められてビルが建ったり。日本にはその様に死骸が埋まったまま、人々の生活や憩いの為に建物が建ったり公園が出来たりしてる場所が多い。

長閑な晴れの日、新緑眩しい草原に立った時、穏やかで落ち着いた気持ちとは裏腹に、その緑の下には歴史の惨状を物語る何かが埋まってるかも知れない。

京、本人曰く

例えば綺麗な緑の草原に見えても、土の下には何が埋まってるかわからない。表面だけしか見ずにいたら、気付かないことなんてたくさんある。そう思ったときに、なんか緑のなかに堕ちていくような感覚をおぼえた。

だそうです。

断片的なイメージ映像のようにパラパラと脈絡のない言葉を散りばめた詩であるから、聞き手が想像しつつ物語を作り上げるしかない。 例えば冒頭の「蟲喰う…」は「蟲が喰う」なのか「蟲をも喰う」なのか、で感じ方が分かれる。 「虫食い」なんて言うから、もしかしたら「蟲に喰われる亡骸に茫然と見とれて…」という意味かも知れませんが、肝心な所を説明しきらない詩の書き方こそ、より想像を豊かにしてくれます。 「Dozing Green」以前の作品は割と言いたいことを全部書き上げる作品が多かったのに、この作品ではあまりにも説明の少ない内容だったので、始めて聴いたときはどう受け取れば良いのか、戸惑いました。

DIR EN GREY

DIR EN GREYTHE MARROW OF A BONE」初回盤の歌詞カードの見開きの絵画。

f:id:yoshimasa7770:20211027190858j:plain GoogleLENSの検索機能で作者名が判明。

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David teniers(ダフィット・テニールス) ベルギーの画家で庶民の生活をテーマにした牧歌的な作品が多い。 「Marrow of a bone」のゴスをイメージした雰囲気とよくマッチしてる。

REPETITION OF HATED 解釈

自由や権利を求める民衆運動を力で捩じ伏せて、政治的権力や支配を維持させようとする権力者の歌のように思います。

“迫害”“神風”“道理”と言ったワードが歴史的に繰り返されてきた暴動を彷彿とさせます。

__ほざいてろ何時までもそこで、俺はひとつなにかを ただ 握り潰す。__

と、あるように始めから話を聞く気など更々無いようです。 そして個人的に好きなフレーズ。

__群がる血は迫害に溶け、流れ出す賛美の宴 Ah-Ah--♪力で捩じ伏せろ__

権利や自由の為に団結した民衆運動は、力で捩じ伏せられて、違う派閥の群衆や警察に迫害され、その惨状を祝う宴が繰り返される。言葉のチョイスと不気味なファルセットが何処か宗教的です。

_Parasite children of hated,I Hate you dead passion__

__泥に埋もれ Embryo Burning 破裂しよう My pleasure__

そんな惨状を繰り返していれば、憎悪は次の世代へと受け継がれる。俺もお前が嫌いだ。 “EmbryoBurning”は、種族の根絶を意味する。

ある程度の権力を握っていて、影響力のある立場に居ながら、個人的な好き嫌いだけで重要な決定を下す。 この様な惨状は、何処の国でも繰り返されてきた。

DIR EN GREYの6th Album 『THE MARROW OF A BONE』は、迫害、宗教、差別の歴史が大まかなテーマになっているように思います。 歌詞の殆んどが感情任せに書き殴った様に感情的で、具体性に欠けて断片的にしか語ってこない言葉ばかりです。

だけど、どんなに 暴力的な表現でもその言葉の裏には、京さんなりの背景があって、非常に考えさせられる、重い作品だと思います。

THE Fatal Believer 解釈

『THE FATAL BELIEVER』

激しい中にも、伸びやかなメロディのサビが耳に残る。 私には歌の主人公が“感情任せに狂いながらも、何処かで精一杯理性を保とうとする葛藤”が、見え隠れしているように思います。 その葛藤が、 “お前が欲しい”“愛してくれ” の言葉に表れている。

この曲の次が 『Agitated Screams of Maggots』 葛藤も迷いも何もかも吹き飛んで、奪われた分の落とし前を払わせる為の復讐へと繰り出す、と言ったところか。

__見えてるか?噴き出した漆黒の大地、沸いて出た、偽証、偽善、最高だろ?__ __I've been tainted You are stunning and I just want you__

(漆黒の大地=腐った屍の山。自分達の罪を擦りつける為に犠牲になった屍の山は偽善と偽証の証だ。最高だろ?) (そんな惨状を少しでも忘れようと俺は薬に手を出して穢れてしまった。だが、お前は純粋なままだ。素晴らしい。お前が欲しい。)

屍の山は戦争の惨状を表しているのようにも思えますが、自分には黒人リンチや魔女狩りを連想しました。

__進化は退化に溺れて__

(進化=優生思想,退化=無自覚の罪)

__悲しい程、情熱が今狂いそう__

(優生思想を謳う人達は、罪の擦り付け合いで、お互いの足を引っ張ってる。殺意にも似た正義感が暴走しそうだ。)

__Please grant me my small wish 骨の髄まで愛してくれ__

(自分達が如何に優れているかばかりに心が囚われて、差別と迫害の犠牲が積み重なった世界では、愛は手に入らない。愛に飢えるのも、当然です。)

と、こんな感じでしょうか。

この頃の京さんは、

“殺意にも似た激しい感情こそ純粋な心を見出だせるのであると、模索、追及していたのだろう。”

海外公演も本格化し、苦汁を舐める想いもしてきたと思う。 「今更何かに影響を受けて、バンドがゴロッと変わる事はない」と断言しつつも、バンド活動に影響を与えなくても、作品に飢えてる感情が顕著に現れてる。

海外に行けば(少なからず)差別感情を肌で感じる事もあっただろうし、決して穏やかな、守られた雰囲気での巡業ではなかったと思う。

差別、思想、宗教、歴史こそが人間の心に根差した“痛み”。 その痛みに注目をし出す切っ掛けにもなったのではないだろうか、と憶測する。

お初です。

私はとあるアレルギー体質を克服したくて、漢方薬局に通ってる。
保険が効かない薬局だから、7日間処方で結構まとまった額を払うのだが、そこの薬剤師さんは誠実そうな人だし、何より効き目を実感出来てるから、信頼して通ってる。
気候の変化やライフスタイル、その人の個性に合わせて生薬の配合を変えたり増減したりしてくれる。


で、そこの漢方の煎じ薬を飲んでいて思ったこと。

「青汁を飲んでるから元気」
「鮫の肝臓エキスを飲んでるから病気知らず」
などと宣伝しているが、青汁のような特定の栄養素は人間の身体の中で“決まった働き”しかしないものだ。

春夏秋冬、季節が移ろう様に我々の健康状態もその時々で移り変わっていく。
人間の身体の変化は、自分が思ってる以上に繊細で、外界の些細な湿度差/温度差などを察知し、その変化に合わせようと細胞や神経が活動したり停滞したりする。
自分でも自覚していない身体の中の動きに対して、何だかわからないのにイライラしたり気力が低下したりする。



例えば・・・6月に入ってから湿度が高いから 「気・血・水」 の内の「水」の溜まりが「気」の巡りを停滞させてるかもしれないから、この生薬で循環を良くしましょう。とか、
汗をかくと「気」も一緒に流れ出てしまうから「補気」をする生薬を足しましょう。
とか、難しいことは知らんけど、決まった薬と決まった栄養素の提供ではなく、正にその人自身を見立てた上での生薬の配合をしてくれる。

思えば、一年の内の“春夏秋冬”も毎年同じ“春夏秋冬”ではないのだ。
「今年は4月の半ばを過ぎても寒かったから、桜が散るのは遅かったな。」
「8月に入ってから半ばまで雨だった。」
「去年は極寒だったが、今年は暖冬」
など、寒暖差、湿度、気圧など地球の気候は毎年微妙に変化し続けている。




慣れ親しんだ人間の身体も、一年また一年と刻一刻と変化し続けている。
特に現代社会は、とにかく変化が激しい。
人生とは変化の連続なのだ。
だから、自分の身体と賢く付き合っていくのには、一年を通して、些細な変化を察知して、その変化に合わせて日々の過ごし方や食事を考える、というものなのだ。



だから、よくテレビで宣伝している様な「コレ(特定の栄養素)を毎日摂ってるから元気!!」とは、なかなかならないものだと思う。